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Channel: 遊ぶ大人の非常識 by きのこ組
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ここ貝塚ははじめてかな ?

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またまた
https://petamun.blog.so-net.ne.jp/2019-04-13
壺?! 出たぁ~
の続きですけど !


縄文・弥生人は、結構、標高の高いところに住んでいたということが、最近(3.11以降)の発掘調査などで、分かってきてるらしいのですが、巨大な津波を予測していたというのか、それほど頻度多く巨大津波が発生していたということになりますよね~、当時!!

氷河期だった頃の海面は最大で130mくらい低かったとの事ですので、氷河期が終わった8000年くらい前の瀬戸内海の汽水域期の標高から推測すると、靴も履いていない狩猟民族が、現代人には予想できないくらい120m以上の高台に住居を構えていた分けでして、この前見つけてた貝殻が、貝塚のものだとすれば、ちょうど縄文・弥生人の痕跡なのかなって思えてた。もっとも、サザエみたいな巻貝も一緒に出ているので、4000年だとすると、半分の70mということになるのかな?

あの壺が土器だとすると、時代はかなり新しいと思うので、2000年前以降だと考えると、もっと低い45mくらいの高台だった可能性もある。

弥生か、古墳時代かな~

ただ今回、標高20m前後の山肌から崩落していた貝殻ですが、不思議なことがありまして、汽水域に生息する2枚貝と、海水域の巻貝が同じ場所で発見できてまして、もっとも土砂崩れの痕跡があることから、元は別の場所なのかもしれませんが、今の浜名湖みたいに、比較的生活範囲内で、同時期に両水域が存在していた可能性もあるのかなぁ~と、・・時代が混同している事も十分にありえてる現実。

おお磯がしびーち.JPG
あと幼い頃に良く泳いでいた海岸や、潜っていた磯を思い出してまして、海抜0mから、まだ1~3mくらい深い場所ですが、手前の30mくらいが海水浴場で砂エリア(昭和期の造成と思われる)、その奥には15cm大くらいまでの小石が20mくらい続くエリアで、更に磯へと進むと、1m大の石が20mくらい続くエリアがありまして、侵食具合と歴史背景から、小石エリアは、ざっと1500年前以降と、磯エリアは、戦国期以降の石切り場があったのではないかと思ってもみてる。

当時今より5~10m海抜が低かったとすると、地上だった部分ではないかと思うのですけど、アクアラング装備で、もう少し深いところに潜って痕跡が発見できれば間違いないですけど、青藻に覆われた下は、深い堆積泥の層だということが分かるだけだろな。


1000年くらい昔、城があった場所の裏側の磯で、水軍時代かな? の舟隠しのアンカーを立てるホールらしきを、見つけたことがあるけど、まだ表ざたにはしていない(フフフ;)、ホンモノかどうか分からないので

歴史的事象を正す自然があちこちに隠されていて、田舎って良いものですね~(汗;)。

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